寒いですねー。
実は着やせするタイプだと思い込んでいるデブの藤沢です・・・。
毎回自分をオトシメていますとちょっと最近つらいですね。
さて、お正月何されました?旅行?里帰り?寝正月?もう早いもので半月が過ぎてしまいました。
はっやいですよねー。
この間レコ大見て紅白見てってしたばっかりなのに・・・。ハイ私はTVで棒に振った寝正月です。
なんだ、この意味のないクダリは?40歳独身男のボヤキです・・・。
さて、まじめな話。
今週末は、あの神戸の震災から20年。早いですね。当時私は神戸の某学校に在席してました。
成人式の翌々日の早朝のことです。
その日の事は、被災していない方も映像でご存知でしょう。
(ここでは何も言えません。スイマセン。トラウマってやつなんですかね。
ただもし2日早ければ、少なくとも私と同じ成人式関係の人間は起きていて、逃げられたのかもしれません・・・。
後に知った事ですが、知人、友人、友人の家族、そのまた知人、多くのかたが亡くなったり、行方が知れなくなったりしていました・・・。)
私の下宿先の部屋は、建物は大丈夫でしたが中はムチャクチャ。
洗剤の粉やら小麦粉やら洗濯機やら家具やらが飛び散ってしまいました。
有りがたいことに、多くの学生や社会人(なかには外国の方も)が、すぐさま各地から駆けつけ、様々な活動をしました。
(あの震災から日本の中で、何か少し変わったように思いますのは『見ず知らずの人が駆けつける』ことへのてらいが薄くなったことではないでしょうか?
『偽善だ』という批判よりもまず『行動。』的な雰囲気ができたように思います。)
その後、私は被害状況の面的調査に関わりました。
(阪神地区の建築物をひとつひとつを住宅地図片手に、足で調べました。私たちが担当したのは三の宮付近から西。途方もない広さをグループごとに手分けして調べました。)
私の所属する学校が、規模は小さいですが、被災地域内にある専門分野の学校として、数日後には、その調査の中心となったのがきっかけでした。
(成果は『阪神・淡路大震災被害実態緊急調査 被災度別建物分布状況図 神戸西部地区』です。興味のある方はどうぞ見て下さい。そのほんのわずかの内の一部は、私も参加したものです。)
もちろん罹災者の生活を支える方面での関わり方も出来たのですが、いろいろ考えた末、そこに昼夜なく没頭しました。
大きな余震がその後も何回もおきました。
正直不気味でした。
そんな中、よくよく考えさせられたのが、地震をはじめ天災が 老いも若きも、幼きも、美人もそうでない人も、金持ちも貧乏人も、頭の出来不出来関係なく、一緒くたに人を殺していく・・・ということ。
単純な『恐怖』を学びました。
当初の生活は、例えば下宿のトイレは付近の川まで、バケツに水を汲みに行きました。
(町の公衆便所は黄褐色の山脈が・・・。)
食事はどこからかもらった差し入れなどですませてました。
私の残りの学生生活は、定期的に行った震災復興調査で過ぎて行きました。
(被災状況の調査と基本は同じ行動です。歩く、見る、判定、記録。また歩く・・・終わると資料にまとめる。また歩く・・・。)
この被害と復興の過程をデータとして後世に残さねばと同級生たちと頑張ったものです。青いですよね・・・。
口には出せないほど辛かったこともありましたが、あれから20年。
皆さまはどんな復興でしたでしょうか?
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